あんこ人形
 
 「あんこ人形」って何でしょう  「あんこ」って何のこと? 「あんこ」は大島の地方言葉(方言)で島の娘さんのことです 昭和初期の大島では人手仕事が頼りで、重労働の毎日でした。島の女性たちはその一翼を担い重い荷物を頭に乗せて運びました。なかでも井戸が家々になかったので湧き水を汲み運ぶ仕事は女性たちの朝夕の日課になっていました。
 命をつなぐ水を運ぶけなげな姿を彫刻家や芸術家たちは興味深く見つめ描きました。                                
 大島独特の婦人労働姿の彫刻が「あんこ人形」です。婦人風俗の姿を残した思いから60年で12万体のあんこ人形を作り続けたのが私の父です。
 昭和初年に岡田村で独自に工芸をはじめた青年があんこ人形の創始者と思われます。
島人に東京の彫刻家がはじめて講習会を開いて伝授してくれたのが昭和4年です
大正中期から芸術家の山本鼎が長野上田から全国に発信した「農民美術運動」の一環として大島で講習会が行われました。農民美術は「趣味と実益を兼ねた産業(農村の副業)の成立」を目指した創作活動です。大島では観光がちょうど盛んになりはじめた頃にあたり、あんこ人形は「観光地のおみやげ」として評判を呼び、今に至っています。あんこ人形の原木は大島に多く自生する「大島椿」や「大島桜」です。


                  あんこ人形 それは大島の宝です

人形作って60年
(父の仕
事)
あんこ人形創始者(重丸) 彫刻家木村五郎が技法を伝授 農民美術の
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藤井重治作「あんこ人形」 人形作り60年藤井重治(明治42年生まれ) 大島に現存するあんこ人形 
     
 あんこ人形創始者の「あんこ人形」 藤井重丸(明治37年生まれ) 重丸作の水桶・薪を頭に乗せた人形
     
大島で島人に教えた農民美術
 「あんこ人形」
木村五郎(明治32年生まれ) 日本美術院の彫刻家   大島婦人風俗木彫「春島冬日」
  昭和6年院展出品 木村五郎作
     
 あんこ人形木彫体験  初めての体験です 大人2人と子供3人の作品完成椿材の人形     造形作家エサシトモコのカオデカシリーズ 「アンコ猫」