ふるさとを描く画家


        
画家中出那智子 それは大島の宝です

  画家中出那智子   大島生まれの画家   ふるさとを描  画家を支えた3人 
 良一(夫)は作曲家   一口エッセイ① 一口エッセイ②  エッセイたこつぼ
  アトリエたより      

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      平成15年1月25日から4月5日まで 藤井工房にて開催

       
  ふるさとを描く 中出那智子油絵展

画家からのメッセージ

 私は画業生活のなかで、自分を見失いそうになった時には大島節を歌ったりおどったりして、かろうじてバランスをとってきた、それは遠い外国だったり北陸の雪の中だったりした。いつものふるさとの息吹をこの胸に感じながら絵筆を握ってきた。
 大島を描くことは長年の夢であったが、自分を知っている大島を描くことはとても負担に感じられた。あるきっかけから「描けるかな」とひらめき、やっと10月からキャンバスに向いはじめた、作品は何点も描けないでしょう。
 それでも大島に自分の絵を並べて同窓生や懐かしい人々に見てもらえたらとても嬉しい。いつかこんな日が訪れると信じてやってきたのだ
 大島で生まれ育った中出那智子は、画家の宮本三郎に師事して油絵を学び、今日まで絵を描き続けてきました。
 古里や南米の明るい太陽に照らされた風景や人物を描いた作品を展示しています、大島で初めての油絵展です。
 「何処にいても大島を忘れることはなかった」と語る画家の大島への思いと感性をご覧ください。
 画家の支えとなった父親の長島定一、宮本三郎画伯、亡夫中出那智子良一の資料も展示しています。
 
(藤井工房パンフレットより)
   
                  「大島の風景」より


夕映えの島娘(6号)  波浮港(8号)  山路の二人(3号)  山路ゆく少女(4号) 

                              
「大島と南米の風景」より
      
  釣りする人たち(8号) 三原山(6号)   イスタンブールの休日(3号) 
                   
 
   バイアーナ(0号) アンデスの少女(3号)       
            
 
平成15年2月8日付 東京七島新聞掲載記事         
       『ふるさとを描く』中出那智子油絵展 元町藤井工房で
 
【大島】 中出那智子さんの「ふるさとを描く」油絵展が1月25日から、大島町元町の藤井工房で開かれている。地元では初めて、4月5日まで。

 会場には新作12点に加え、これまでのものと20号からサムホールまでの作品35点と父親・南島館の故長島定一さんの作品が会場いっぱいに展示され、地元の人たちや椿まつりのお客さんなど絵を見にくる人が(25日70人、26日55人)日増しに増え、アンコさん画伯が描いた「島娘」などの力作が改めて人気を呼び、話題を広げている。
 中出さんは、昨年秋、サンクトペテルブルグ市政300年を祝い、ロシア連邦国立展示場マネージュで日本芸術の21世紀と題して開かれた国際殿堂展へ出展された「フラメンコ」(20号)は「人間の持つ希望と力強さを東洋の色彩感覚で描いた」と高い評価を受け、「ロシア芸術アカデミー賞」と「国立マネージュ設定画家」の称号をW受賞した。この作品は世界的な収蔵を誇る中国上海美術館のリ・コーヨー館長からの要請で、来年2月に開かれる「選抜世界アーチスト展」への出展が決定している。(中出さん居住地、石川県加賀市片山津温泉広報より)

 魅かれるアンコの姿 中出さんのはなし
 大島で初めて個展を開いた中出さんは次のように話している。
 一昨年7月、藤井工房を訪れた際、藤井さんから油絵展をやってくださいとの依頼を受け、いいきっかけだと思いお引き受けしました。
 話しているうちに、藤井さんが父親の残した大島アンコの木彫りを、その意志を受け継いでいこうと支庁をやめ、その退職金で工房をこしらえ、大島の芸術を守ったり、掘り起こしたり、との話に感動し、私も院展に関与して出品していた彫刻家の父を持ち、結核のため仕事を医師から止められ、その養生のため大島に住みついた父の姿を見て、体を壊してまで芸術に情熱を傾けるその姿に感動した私は、父の果せなかった夢を娘の私が代りに果そうと夢を持ち、50年の自分の画業を今ここ大島で油絵展を開くことによって、大島の皆さまに観ていただきたいとの思いで開催を決心しました。私は少女のときから山路を行く大島アンコの姿に、何かとても魅かれるものがありました。木もれ日を浴びて歩むアンコの頭上運搬の姿は背がすっとして美しく、神々しささえ感じられ、家の前に立って、畑に向う婦人の姿をいつのまにか絵描きの目で観るようになっていました。今ではほとんど大島風俗もなくなりましたが、昔も今も自然と人間の心とは一体で、根源的なものはいつも一緒です。現在でも、木もれ日のする山路を、小鳥の声を聞きながら歩くと、50年前と全く同じ気持ちが快く蘇ってきます。