赤穂義士の遺児300遠忌・間瀬定八顕彰の活動
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赤穂義士の遺児間瀬定八のニュース(平成16年12月4日から) |
18.11 東京七島新聞投稿記事(八王子平野氏) PDF(製作中です) |
伊豆大島流罪中病没の間瀬定八300遠忌 赤穂義士の間瀬久太夫、吉田忠左衛門、中村勘助、村松喜兵衛の遺児4名が伊豆大島に流罪となりました。間瀬久太夫の次男定八(流島当時20歳)は1705年4月27日22歳大島で病気のため亡くなってしまい、1706年8月に赦免許可証が届き遺児3人は江戸へ戻ることができたが、定八は配所の土となって今も大島に眠っている。 大島元町墓地の間瀬定八のお墓 2005年4月24日(土)・24日(日)に伊豆大島元町霊園の墓前において300遠忌慰霊祭をおこないます。中央義士会の中島理事長さんの講演や、大島の歴史文化探訪も計画中です。 伊豆大島へは東京から高速船で1時間45分と便利になりました。一泊でぜひお越し下さい。 間瀬定八顕彰会事務局 〒100-0211 東京都大島町差木地字クダッチ 平塚正彦 12月14日には泉岳寺の義士祭に合わせて間瀬定八慰霊祭のPRに大島 のあんこさん(島娘)が上京し泉岳寺周辺でチラシを5000枚近く配ってきました。 |
平成17年1月30日椿まつりパレードに参加 |
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慰霊祭の行程をお知らせします。ツアーの申し込みは〆切りました、もし参加を希望される方は,交通機 関の手配をされて現地にご集合下さい。何か有りましたらお問い合わせください。 大島の木村五郎・農民美術資料館 ℡・FAX04992-2-1628 間瀬定八参百遠忌 (財)中央義士会・間瀬定八顕彰会 共催 日時 平成十七年四月二十三日(土)~二十四日(日) 東京浜松町竹芝桟橋 午前八時三十分 出航 一部 見学会(十時三十分) 大島郷土資料館 郷土芸能館 (昼食) 二部 法要(十二時三十分) 元町金光寺 大島元町共同墓地 三部 記念講演会(十四時) 開発総合センター大会議室 司会 顕彰会事務局長 稲葉 智 ・研究発表 「大島の流人」 大島町立第二中学校 教諭 北原 弘幸 生徒 小池 岬 石井 英美里 小林 美里 白井 帆波 ・記念講演「間瀬定八と伊豆大島」 (財)中央義士会理事長 中島 康夫 氏 ・質疑・応答 四部 懇親会(十八時) ホテル椿園 五部 島内見学(二十四日 午前八時三十分出発) 午後四時四十分大島発 顕彰会会長 平塚 正彦 100-0211東京都大島町差木地字クダッチ 04992-4-0866 事務務局長 稲葉智 04992-2-2501 |
4月23日慰霊祭と講演会がおこなわれました |
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17.6.26 記 歴史読本(17.8.1号)で慰霊祭の様子が紹介されています。 みだし 流刑先の伊豆大島で無念の病死 赤穂義士の遺児 間瀬定八の三百遠忌開催 記事の最後に大島の顕彰会会長の「全国の忠臣蔵ファンに、ぜひ大島に眠る定八のことを 知ってほしい」というコメントが載っています。 (財)中央義士会会報17.6月第53号に「伊豆大島と忠臣蔵」が掲載される 概略「間瀬定八は伊豆大島に流された義士の遺児4名の内の一人です。・・父と兄が討ち入りに 加わり、本人は家族のために残りました。」の小見出しで書き出され、最後を「尚、今後も義 士会の方々が参拝に来てくれるなら、顕彰会で案内するということである。」と結んでいる 間瀬定八300遠忌に関する記事は多分これで終わりだと思います。今後も大島の間瀬定八顕彰会 は活動を続けてゆきます、 |
18.4.17記 間瀬定八301回忌墓参について 青葉若葉の頃になりました。 昨年の300回忌法要より早1年がすぎました。おかげさまで盛大なものになりました。今年は墓参のみ 行い、今後に引き続く足がかりにしたく思います。何卒宜しくお願い申し上げます。 記 期日 平成18年4月23日(日) 時間 午前11時30分から正午まで 会場 金光寺境内、下村家墓所 墓参後、昼食会を行いたいと思います。(会費1000円) 連絡先 稲葉智 大島町元町4-3-2 ℡04992-2-2501 なお、都道沿いの案内板を「赤穂義士遺児 間瀬定八の墓」と替えるように支庁に申し入れいたしま した。中央義士会より、都内の忠臣蔵史跡ガイドブックの執筆依頼が来ております。 間瀬定八顕彰会 会長平塚正彦 |
18.11.25記 東京七島新聞(11月)に八王子在住の平野氏の投稿文が掲載された。 18.11 東京七島新聞投稿記事(八王子平野氏) PDF (製作中) ここに出てくる青年は大島の間瀬定八顕彰会会長平塚氏である。 目次に戻る |