島ことばガイドブッ
 
「伊豆大島のことば を未来に残すガイドブック」
  
 
太平洋にぽっかり浮かぶ大島はかつては自給自足の隔離された島だったの 
 で独特の方言や文化が色濃く残っています
  

  アンコへー 何くっただよー おいと一緒にあいべよ 
   
娘さん    何食べましたか  私と一緒に行きましょう

                     こんな感じです

   
「しまことば集・・伊豆大島方言・・」藤井伸著
         平成25年5月10日発行

       
島の暮らしぶり 島の風習が語られてます

    柴山孝一編著 大島ガイド資料「伊豆大島の風俗」
         25.9.20発刊


       田澤堅太郎著 火山大島スケッチ 台風26号の山津波(びゃく)のはなし


        
伊豆大島の文化・継承 それは大島の宝です

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 平成24年6月記(時系列で更新中です)

 著名な民俗学者の柳田国男は明治36年にはじめて伊豆大島を訪れています。それから島の言葉に興味を持ち調査収集をはじめました。現地調査には各地区に暮らす島人が協力しています、柳田は島の協力者として元村の大西正二、岡田村の水島節男・白井潮路、野増村の藤野為蔵、差木地村の宮崎直之、泉津村では阪口一雄、賛同して加わった波浮港の前村長の松木國次郎の名をあげています、当時の国民学校の職員と地道に調査をしていた人たちです。

 柳田国男編「伊豆大島方言集」は島のことばを動詞・天象地勢・動植物・労働。衣食住・などの項目ごとに「土地の言葉」を解説する構成で昭和17年に出版されました。

 元村読書会(藤井正二代表)は「島ことば集 -伊豆大島方言―」を昭和62年12月に発行行しました。柳田編著の「伊豆大島方言集」と同様のスタイルですが、項目別からあいうえお順に並び替え、若干の加除をしています。
 「おわりに」のなかで読書会会員は、「長い間読書会の仕事として、毎月開催してきた大島の方言研究が実を結んで、今回刊行の運びとなったことは、誠に慶賀に耐えません」「野増の方言は昭和51年から60年までの十年間、ほとんど毎晩八時頃から十時まで家に来てもらって気付き次第その都度書き留めたものである」「お年寄りが年々減る一方の昨今、古き良き時代を偲ぶ、情緒ある島特有の方言も、いつしか世の中の変遷と共に、もはや特定の御老人たちの話し言葉の中でしか耳にすることができなくなってしまっています。日本列島そのものが、日に日に土地固有の生活文化に特徴を失っていく現実の中で、私達読書会の力で、できるだけでも故郷大島の情緒ある懐かしい方言を掘り起こし、探り出しておけば、必ず地域の無形文化遺産にもなろうかと、何年も懸けて努力を積み重ねて参りました」。
 元村読書会の起源について、若いものにはちょっと手が出せなかった当時の単行本を共同購入して回覧するために作った読書会であったが、いつの頃からか、四方山話をする会に変質して現在に至っている、昭和49年には大島最初の文学碑「土田耕平歌碑」を建立した、と記しています。

 元村読書会会員は 成瀬喜代 坂口一雄 立木遵 藤井菊太郎 白井亀太郎 藤井重雄 曽根常吉 藤井正二 鈴木三郎 矢崎良房 白井晟 高田三喜治 藤井志摩 阿部勝美 藤井善弥 とあります。 
 平成22年から「島ことば集改訂版」執筆に藤井伸(高校教員OB・郷土史家)が取り組んできました。ほぼ推敲が終わりに近づいたと思われた平成24年2月に急逝されました。私(藤井工房)は改訂版のパソコン打ち込み作業のお手伝いを最初からしてきました。郷土史家が永眠され未完の資料だけがポツンと取り残されてしまった寂しさが日を追う毎につのります。代役ができる技量はないので何とか今の形を生かした改訂版を刷り物にできないか、亡くなられる前日までパソコンの前に一日中坐っていたと奥様からお聞きしました、出来上がりを楽しみにされていたはずです。
 時間がかかっても、何とか故人の思いを叶えさせたいものです。 
(平成24年6月記)

  
動き始めるまでにはまだ時間がかかりそうです。

 試しに3つの資料のことばを二つ選んで比較してみましょう

 ①柳田編「伊豆大島方言集」より

  アンコ・・姉 年上の娘に対する敬語

  アイベ・・一緒に行こう 「泳ぎにアイベ」

 

②元村読書会「島ことば集」

  アンコ・・家の姉 年上の女性 「おみよのアンコは六十過ぎても若々しい」

  アイベ・・歩め 行こう 「オレと一緒にアイベ」あいべ  福島・岐阜

                        あいべえ 岩手

③島ことば改訂版(案)

  アンコ・・名詞「あねこ」の変化した語。娘。島娘。婦人。或いは、姉、年上の婦人に対する敬語などとするのが一般的である。夫のある若い女(岡田)などと特定する用法もない訳ではない。
 本来は「お春のあんこ」「お清のあんこ」などと年上の女性に対する尊敬語として用いられたものであるが、やがて「オ春ナァンコ」「オ喜代ナァンコ」などと変化していく。      
 東北の婦人呼称「姉+コ
(指小辞)」と同じ「あねこ」が原型と考えられる。年上に敬意と親愛を表す代名詞「あんこ」の用法も存在した。
 ただ、オ春ナァンコ・オ喜代ナァンコなどの用例を挙げ、昔はアンコという名詞はなかった。ナァンコの頭の子音Nが脱落して、名詞アンコが誕生したのであると説く人もいる。たしかに、近代を迎えて島に遊びに来始めた都会人士が、島人の会話を聞いて、アンコさん」と呼びかけたのでは、などと想像するのも楽しいことではある。
 若い叔母などには軽敬語と親近感を込めて、「代喜ネー」などとネー(姉)を付けて呼んだ。姉は単にネンネエと呼んだ。これは児童語的用法と言えよう。成人するとやはりアンコと呼んだ。
 

 アイベ・・歩め。行こう。イクベイに比すると「アイベ」はやや強制的表現。*オイ(俺)と一緒にアイベ一緒に行こう 「泳ぎにアイベ」

 ③の島ことば改訂版(案)を書き出した当初は②の「島ことば集」を今風に合わせた加除からのスタートでした。しかしアからワまで一巡して1年経った頃からでしょうか、単純な語彙の説明だけに留まらず郷土史家がこれまで大島で暮らして見聞きした「郷土史家の半生記」のような記述運びに変化してゆきました。これは「島ことば集の改訂版というより私家版島ことば集ですね」と言おうとしましたが、それはそれでいいのだ、そう思ってお話しすることはありませんでしたが、今にして思えば突然の出来事を予知されていたとは思えませんが「集大成」にしたいという願いに突き動かされて書き進められたのだと思います。私家版で構わないので何とか一冊の本にまとめておくことができれば郷土史家の思いは永遠に生き続けることができます。
 同じように昭和初期の「大島の風俗・風習」を
活字にされている方がいます。その方が所有する②「元村読書会の島ことば集」には細かくメモがあり、加えるべき言葉が多く書かれています。その「くわえるべきことば」の大半が郷土史家の③改訂版(案)に反映されているのです。さてどういうことでしょうか、同じ志のあたらしい仲間が集まり改訂版に向けた勉強会をしてきた、そういうことではないでしょうか、郷土史家だけではない複数の研究者の英知が改訂版に注がれている、ということになれば何としても3冊目の「島ことば集」は刷り物にしたい、そう思います。

 
 24.12.29更新


 何とか郷土史家が生前に綴ってきた「島ことば集」を刷り物にしたい、そう思いながら原稿の行揃えや目次作りをしてきました。発刊のことばや追悼文の投稿を郷土史家と親交のあった方にお願いしてあります。
 来年の2月になると早いもので一周忌を迎えます。なんとかそれまでに方向性をお示しすることができれば、と思っています。
 
 25.2.3更新

 「島ことば集」の編著者の一周忌が今月23日です。何とかそれまでに「出版の形、ご家族の意向」をお聞きしたいと思ってお訪ねしました。
 打ち出した原稿を本のかたちにしてサンプルをお示しました、家族が集まった時に相談したい、出来れば自費出版をしたい、そういうお話になりました。
  
 25.2.12更新

 せっかく印刷所に製本までやって貰う予定なので、表紙の題字とデザインを大島出身の洋画家にお願いしました。
 もう80を越す現役の画家ですが大島を離れて久しく、大島の昔を懐かしく思い出されているような方なので一番適任だと思います。
 中出那智子画伯には藤井伸編著「島ことば集」に追悼のことばを寄せていただいています。どんな表紙になるのかとても楽しみです。
大島の絵を沢山描かれていますが、本の表紙なので「薄い色使いで」とお願いしました。
  
  
 25.2.24更新

 
本のカバーのラフなスケッチと題字の原稿が届きました。前に校正中の原稿をみていただいたので、もうイメージが浮かんでおられたのでしょう、すぐに郵便で届きました。
林の中を歩く女性、着物姿で頭に水桶と薪を乗せた二人が描かれています、たぶんこんな感じで本の表紙が出来そうです。

 左には 「にしげーじゃァ 何を喰ったよ たかべをばくったよ 今年のたかべはでかいどナー 
       おおようまかったよー」

 右には 「なぎになったら はんばをとりにいくべーよ おおよ あいべよ」と書かれています

 二人が交わす会話がおわかりでしょうか、あまり標準語と変わりませんか?

 
  
 25.3.18更新

 
「しまことば集」は最終校正に入りました。
 執筆された伸先生のご家族とお話ししました、自費出版で300部作りお世話になった人たちと近親の人に記念として配る、当藤井工房にて製本実費で頒布する、遅くとも4月末までに発行したい、ということが決まりました。
 発刊のあいさつ文は伸先生が大島高校在職中に教え子だった歌舞伎義太夫語りの竹本葵太夫(大島生まれの柳瀬信吾君)に書いてもらえることになりました。



 25.4.14更新

 
ようやく4月12日に本の原稿データーをすべて印刷所に送ることが出来ました、やれやれ一安心です。
 本は並製本でA5版、モノクロ印刷、本の厚さは19ミリです。束(本の形をした印刷前のサンプル)を送ってもらいました。いよいよ次回はすべて印刷された見本の本が一冊届きます、これがオッケーなら印刷にかかってもらいます。何とか連休前に納品を・・・と願いますが、予定より入稿が遅れてしまったので5月になってしまうかもしれません。
 資料館たより15号(3月31日新聞折り込み)に本の予約の告知を載せました。今日までに40冊の予約が入っています、嬉しい限りです。



 25.4.27更新

 
本の型になった「校正作業」はPDF原稿を3度印刷所へ送り直して何とかオッケーが出てようやく印刷に入りました。
予定より一週間ほどずれ込んでしまいました。スペース間隔の調整、ダブった括弧の削除や記号の統一など、探せば探すほど際限ないように出てくる修正箇所に冷や冷やでした。
弁解させていただければ、自分が打ち込んだ原稿でないので文章のスタイルにとまどったこと、二度目のチェックになるとどうしても自分の目を信じて活字をさっと追っかけてしまうこと。やっぱり第3者の冷静な目が必要でした。
 「月末に出ると聞いたけど」と買い求めに寄ってくださるお客さんもちらほらです。
連休明けには間違いなく入荷いたしますのでもうしばらくお待ちください。



 25.5.10更新

 
何とか本にしたい、そう思って作業を始めてから半年以上が経ちました。ようやく伸先生の誕生日にあたる5月10日に無事納品されました。
早速ご自宅に届け、焼香して完成を報告しました。
「ほんの出版を手伝ってくれ」と言われた約束が果たせてやれやれです。
 
    1冊 2000円 です

    送料340円・振込手数料は注文者負担でよろしければご注文下さい。

       ℡ 04992-2-1628  藤井工房にて頒布いたします

  
ご照会・ご注文は ご面倒でも qqxt3tz9k@room.ocn.ne.jp までアドレスコピーで願います 


 25.5.25更新

 
大島に本が届いて約2週間が経ちました。国会図書館や都立図書館、大島の図書館や小中学校の図書室、お世話になった方々にお届けしました。
 有料頒布分としてすでに120冊手元を離れました、思っていた以上に関心を持っていただけているのだなーと感心しています。

 6月最初の東京七島新聞に記事を掲載してくれるそうなので楽しみにしています。



 25.6.7更新

 伊豆大島方言を解説した「しまことば集」の発刊からまもなく一ヶ月を迎えます。
 個人的には一年かかって100冊売れればいいほう、そんなペースを考えていましたが、一ヶ月で160冊を有料頒布することができました。伊豆大島で教師をしている先生方、古い話を懐かしく読んでくれるお年寄り、著者が30年以上勤めた高等学校の関係者、島を離れて暮らす人に送ってやろうと買ってくれる人、様々です。
 明日は、ご家族と話し合う予定があります、反応が良いので少し増刷してみたらどうか、と話してみようと思っています。



 25.6.17更新

 
伊豆大島方言「しまことば集」は増刷が決まりました。今のところ6月19日に入荷予定です。在庫があと5冊ではちょっと頼りない話しです。

 藤井伸先生と同じように、伊豆大島に興味を持って資料を集めをしてきた教員OBの柴山孝一先生から「私も本にしたい」と相談を受けました。いいことだと思うのでお手伝いすることになりました、まだはじめたばかりです。
 著者が独自に書くというより、書いてある資料を掘り起こしてデーター化したはなしが多く収録されることになります。100年くらい前からの身近な島の暮らしがよく分かる、おもしろい本になると思います。
 7月中にまとまれば・・といった段階のはなしです。写真や絵葉書なども入れる予定なので300ページくらいでしょうか、自費出版の予定です。

大島ガイド資料 伊豆大島の風俗(仮称)

目次

 正月飾り                  

 島の習俗(信仰・祭礼)            

 島の習俗(婚姻)               

 年中行事                  

 差木地村のこと               

 産育習俗                   

 島の隠居制度                 

 島の葬式                   

 島のくらし                              

10 島人のことば                            

11 昔のこどもの遊び                

12 わらべ歌・数え歌               

13 天気のことわざ                

14 日忌様(ひいみさま)             

15 大島の伝説・昔話              

16 大島の婦人風俗               

17 島人の食物(あしたぼ・くさやなど)      

18 水とのかかわり                

 
25,7,19更新

 柴山先生の自費出版書 大島ガイド資料「伊豆大島の風俗」は100枚近くの絵葉書や写真を掲載します。
字も大きくしたいので B5版 モノクロ印刷 280ページ を予定しています。まだ原稿は手元にあり、最終校正中です。
表紙絵は3人の元気な島娘(あんこさん)のスケッチ(昭和初期に大島で活躍した画家藤井重丸画)を使いたいと思っています
 。 
 25,8,19更新

 予定ではもう少し早く出せると思っていた柴山先生自費出版の「大島ガイド」ですが、本日原稿を印刷所へ送りました、やっとやれやれです。
 一度冊子見本の送付を受けてオッケーなら印刷になります、発行日は9月20日と入れました、若干前後するかもしれませんがその頃になります。
 資料館たよりに予告の記事を載せたので柴山先生の教え子10人程から予約の連絡を貰っています、うまく出来上がることをただ祈るのみです。

  25,9,8更新

 大島ガイド資料は「一冊の本になった校正原稿」が届き、PDF原稿を2枚差し替えて完了という筈でしたが、ワード文章がPDFに変換できず、約10日間足止めでしたが、ようやく解決して9月6日に修正原稿を印刷所に送りました。あとは9月20日の納品を待つだけです。

                  
  
 25,9,21更新

 
予定どおり 9月20日 大島ガイド資料「伊豆大島の風俗」編著柴山孝一 自費出版本が発行になりました。
 お手伝いしてきたご縁で、当藤井工房が取扱所となって頒布いたしております。

  1冊 2000円 です 送料340円・振込手数料は注文者負担でよろしければご注文下さい。


                            ℡ 04992-2-1628 

  ご照会・ご注文は ご面倒でも qqxt3tz9k@room.ocn.ne.jp までアドレスコピーで願い  ます 
   

 
 25,12.1 更新
 びゃくの話

 10月16日の台風26号で伊豆大島は大変な被害を受けました。

 三原山山麓からの土砂崩落を昔から大島では「びゃく」と呼んできました、一番近いびゃくは昭和33年の狩野川台風、その前は500年もさかのぼることになり、島人の記憶からは忘れられる存在でした。

 「びゃく」について、私が見つけた文章をここに列記してみます。今年の5月に発行された藤井伸著「しまことば集」にも記述があります。

 朝日新聞の取材があり「びゃく」に詳しいと思われる元大島測候所の田沢さんを紹介しました。私のコメントも少し載っています、その時の記事です 平成25,11,12発行 朝日新聞より
 

      


・平成25年藤井伸著 『伊豆大島方言しまことば集』
 
  ビャクとは 崖の斜面 また崖そのもの 山津波 土石流 崖崩れ 山崩れ 鉄砲水 のこと


・昭和36年立木猛治著 『伊豆大島志考』 聚落・遺物・伝承・文化の項より抜粋
 
元町(旧称、新島村及び元村)
【伝承】 元村は、もと作川の下流海岸で野増寄りの「下高洞」にあった。文禄の昔、びゃく(地震や豪雨が原因となって三原山中腹から地水が噴出し、土砂、巨巌、巨木等を流下し、時には一地域を埋没することがある。昭和33年9月、台風22号のため、元町が大災害を蒙ったことは記憶に新たなところである。)に押されて埋没し、今の仲小路の地に集団移住した。
 
 
・平成17年高田鐵藏著 『大島むかしむかし』 島の昔の物語の項 「シモハタ村」 より抜粋
 
昔からの言い伝えによると、大昇の付近にあったシモハタ村は、何百年か前に巨大なビャクに押し流されて(山津波の土石流で流されること)、跡形もなくなりました。
その時村の鎮守のネギドン(神主)の夢枕に、日頃から深く信仰していた鎮守の神が立って「今直ぐにビャクが押すから逃げろ。誰にも教えてはならないぞ」とのお告げがありました。
しかしネギドンは最愛の妻の枕を蹴飛ばして起こし、一緒に逃げて二人は助かりましたが、他の村人は皆死んでしまいました。
ネギドン夫妻が生き延びて住んだ所の神屋敷が訛って「神田屋敷(かんだやしき)」になりました。
このビャクは「伊豆大島志考」によると1590年頃(文禄年間)のことの由。この時本当は相当の人が生き残って、移り住んで新しく元村(現在の元町)を作ったと言われています。
このビャクの土石流は暑さが二、三十メートルあり、北の端はサクガワの沢で深くえぐられています。サクガワの水はどんな日照りにも涸れることがなかったので、昭和の初め頃まで元村の非常用の大切な水源でした。
 

 
 26,1.31 更新

 朝日新聞11月12日発行の「びゃく」の記事を読まれた研究者の方が現地調査をされ、冊子に掲載した資料を送っていただきました。
 当方にて資料公開をしておりますので興味ある方はお読みください。

 関東近県にも「びゃく」の言葉があること、「びゃく」に関する古い資料の紹介、分析などが載っています。

 ・トーキョーの水際番外編 番外編2 一般財団法人日本地図センター「月刊地図中心」
                                           12月号・2014.1月号
                        著者 (株)之潮(コレジオ)発行 芳賀啓 

 ・伊豆大島・元町の土砂災害史    古今書店「地理2月号」
                        著者 一般財団法人砂防フロンティア整備推進機構 井上公夫

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