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永田米太郎木版画展 昭和9年から4年間大島に暮らし、自然や人情に触れ島に魅せられた永田米太郎は、平塚運一氏に版画を学び、昭和30年に一気に「大島」を彫り上げました。島のよき風俗風習を熟知していたからこそ生み出すことができた作品48点を展示(頒布)いたします。汐のかおりや陽のぬくもりが蘇ります。作品をご覧いただきながら春の大島をお楽しみ下さいますようにご案内いたします。 |
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会期 平成16年2月7日から4月18日まで 版画展初日の2月7日ミニコンサートがおこなわれました。 会場 伊豆大島藤井工房 (入場無料・木曜休館日) |
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永田米太郎長男ご夫妻による演奏はとても心地良いものでした。健一さんは元日本フィルハーモニーのクラリネット奏者、砂知子さんは打楽器奏者(今回はキーボード伴奏)です。 70人でほぼ満杯の小さな木のドームにモーツワルトの曲やライオンキングのテーマ、そして大島ゆかりの「波浮の港」や「さくら貝」など、クラリネットのやさしい音色が響き渡りました。版画とコンサート、本物に触れていると下界の喧騒がうそのように静かにゆっくりともったいないような時間が流れてゆきました。 父を愛し、父の版画を大事に想うお二人の姿勢に感動しました。多くの島人もそう感じた筈です。また機会があったら演奏を聞かせてください。 |
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七島新聞投稿記事文 版画家永田米太郎「伊豆大島風景・風俗木版画展」はじまる 木村五郎・農民美術資料館 藤井虎雄 昭和9年から4年間大島に暮らした永田米太郎は、雄大な自然や人情に触れてすっかり大島に魅せられてしまったようです。島人の暮らしぶりに興味を持ち、仕事が終わると電灯もない夜道をひとり岡田の白井潮路氏を訪ね、島に伝わるよもやまの話を熱心に聞き取りしました。島を離れてから平塚運一氏に版画を学び、昭和30年に一気に大島を題材とした作品を彫り上げ、今では貴重な民俗資料となっている「大島」を発行しました。 大島のよき風俗風習をまとめたこの小冊子を読むと大島の姿が次々と作品になってゆく過程がよくわかります。「大島を彫るために版画をはじめたのではないか」と思わせる作品48点を3月28日まで当資料館にて展示(頒布)しています。 版画展がスタートした2月7日には永田米太郎長男ご夫妻によるミニコンサートがおこなわれました。長男健一さんは元日本フィルハーモニーのクラリネット奏者、砂知子さんは打楽器奏者です。70人でほぼ満杯になった会場にクラリネットのやさしい音色が響きました、「父の作品を大事にしたい」と語る姿に親しみと共感を持った人も多かったことでしょう、本物と出会えた幸運の初日でした。写真やスケッチブックなどの資料も展示しています、是非お出かけ下さい。 |
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民俗学的資料として貴重な冊子「大島」 大島に伝わる風俗や風習のよもやまの話を熱心に聞き取りした米太郎は彫った作品を挿画にして「大島」を書き上げ昭和30年に出版した。大島の良き風景風習をまとめたこの小冊子を読むと大島の姿が次々と作品となってゆく過程がよくわかります。「大島を彫るために版画をはじめたのではないか」と思わせる作品ばかりです。 版画「語らい」が出来るまでの工程 大島の観光ホテルに勤めていた米太郎はカメラを持っていた。まず語らうあんこ(島娘)たちを写真撮影してから、鉛筆スケッチをおこし、版木に写して彫り進み自刷りして完成させた、背景の山の形から場所は波浮方面だろう、版画の技法は平塚運一先生に学んだ(推定)。いい作品だ。 |
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